前回の善一田古墳群に続いて、場所的にはすぐ近くにある「乙金宝満神社」の紹介です。
元々は1900年前の2世紀頃、景行天皇や神功皇后が祈願されたという御陵宝満神社(大野城市・中 おおのじょうし・なか)から元禄年間(西暦1688~1704)に分社されたもの。境内には菅原道真公が大宰府に下られた時に由来する「疫神」も移設されています。
この「疫神」は悪いものが村に入ってこないように、村境に置かれ祀られていたとの事。昔からこの地で人々の生活が営まれていた事や、人々の信仰心など、境内にいると数百年の時が身近に感じられるような気分になります。
直上の写真・記事は大野城市のホームページからの転載。道路整備などに伴い、”山裾の神社”だったはずが短期間のうちに”住宅地の中にある神社”になってしまった周辺の変化が、鳥居近辺の写真の比較で分かります。ちなみに道をはさんで隣はコスモス薬品、斜め前はコメダ珈琲です(笑)。
夜中のジョギング中にこの神社の横を通る時には、必ず「2礼2拍手1礼」をするようになってしまいました。
歴史ロマンにあふれる神社なのですが、ブログに記すには情報量が多すぎるため、簡単な紹介に留めます。歴史に興味のある方はネットで検索してみると、いろいろ興味深い物語を知る事も出来るでしょう。周辺があまりにも開発されてしまったため、歴史的な予備知識がないと逆に殺風景に感じてしまう方もいるかもしれません(苦笑)。
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